東京で働かせてもらっていた会社は当時20店舗以上系列店のある大きなところでした。

寮も福利厚生もしっかりしてて、技術習得のための設備もカリキュラムも整っています。

本当に『あとは自分が頑張るだけ』という環境でした。

利き手じゃない方の腕の筋力トレーニングや笑顔のトレーニング…。技術に入る前にそんなこともしました。

“ウィスキー・ラッキー・ハッピー”と一生分言ったんではないでしょうか。

技術項目ごとに試験を受け、頑張ればどんどん先に進めました。何かしらの形で明確に順位もつきましたので、目標も立てやすかったように思います。

私はというと…

おそらく出来る方だったと思います。

昔から涼しい顔してそつなくやるタイプに思われてたので、まさにそんな感じ…。

誰も、実は小心者で人見知りなのを必死に隠していたなんて思わなかったでしょうし、競い合うことが大嫌いで気持ちがついていってなかったなんて思ってなかったでしょう。

母は昔から私に『必殺・見かけ倒し』と言ってましたから。

色んな事を重く受け止めすぎて、自分で勝手に苦しくなって、1番がむしゃらじゃないといけない時期に無気力になってばかりで、素直さも謙虚さも無くし、出来ないくせに何か偉そうで、今考えると当時の自分にヒヤヒヤハラハラする事ばかりです。

出来ない理由・やらない理由を探してた気がします。

そこに手荒れや腰痛が重なり、私は美容師としてやっていく自分が全くイメージ出来ないまま過ごしてました。